【ブック・レビュー】境界線のない「掛け違い」、そしておうちで4DX(「ぼくが消えないうちに」A.F.ハロルド著 エミリー・グラヴェット絵 こだまともこ訳)

本のPRを専門になさっている奥村知花さんからのお勧めで、「ぼくが消えないうちに」を読んでみました。

この本を手にしたのは、新宿にあるポプラ社さんでのこと。
(※今回は、スゴ本オフ会のスピンオフとして開催されました。スゴ本オフ会については、Dainさんのブログからどうぞ。)

産業翻訳者は(私だけではないと思います、いや、そう思いたいです・・・)、時間にシビアです。訳出するのにどれだけ時間がかかっているか、エクセルで計算している人が多々います。読書の時間や検索の時間なども効率化したいので、電子書籍が重宝します。青空文庫にはとてもお世話になっており、辞書代わりに使ってもいます(このトピックについてはまた次の機会に)。
当然、私も電子書籍に頼りっぱなし。「紙の本」、しかも児童書をハードカバーで手にしたのはいつ?
というくらいに前のことです。最近は本屋に行くことすらなく、自宅以外で「本を置いてある場所」にほとんど行きません。図書館に行くことすらもまれになっています。

さて、こんな私がポプラ社さんに入ると、子どものときの感覚がよみがえってきました。「あ、そうか、本って3Dなんだ・・・」という当たり前の感想なんですが、1台の端末の中の文章(PCしかり、電子書籍端末しかり)を追う2Dの生活が普通だったので、紙の感触と印刷された文字の感触が本当にビビッドでした。

「ぼくが消えないうちに」
「ぼくが消えないうちに」
栞紐にほつれ止めをして読みます。
「ぼく消え」の会
スゴ本オフ会スピンオフ
「ぼく消え」の会@ポプラ社さん
「ぼく消え」書影
スゴ本オフ会スピンオフ
「ぼく消え」の会@ポプラ社さん

さて、この「ぼく消え」、読みながら気になったので原書を注文しようとしました。せっかくなので、電子書籍ではなくリアルな本で。でも入荷待ちです。そこでどうしても気になる点が多々ある時に重宝するのが、「Google Books」!Googleのサービスで、著書の中身を無料公開しているのです。もちろん全部ではないのですが、調べながら読むには最適です。

気になったのは、登場人物の名前。
アマンダ・シャッフルアップ。
最初に浮かぶのは、まぜこぜになった、という意味です。実際、主人公はいろんな世界を自分の中にもっています。
気になったので辞書で調べてみると、リーダーズ、新英和、ルミナス、Oxford Advanced Learner’s、どれも最初に「足を引きずる」と出ています。ここまでいろんな辞書に断言されると、主人公の名前としてはなんだか不穏な気配が漂います。

そしてオッド・アイの猫、ジンザン。
ジンではぴんとこなかったのですが、ザンはギリシャ神話のゼウスを意味するとか。汚い猫ですが、とってもかっこいい。縦横無尽に歩き回る彼は、まさにゼウスです。いや汚いけど。

もう一つ気になったのは、小雪ちゃん(Snowflake)です。
通常の文芸翻訳者は、固有名詞を訳出しません。ただ、児童文学は別です。
小雪ちゃんが唐突に出てきた時、ケストナーの「点子ちゃんとアントン」を思い出しました。ついでに、あの本を手にした図書館と心地いい薄暗さも(笑)。当時、戸惑ったのも思い出しました。「え?著者がケストナーなのに、主人公は日本人なの?」
でも、点子ちゃんという(少々変わっていますが)日本人的な名前が、自分の身近で起こりうる物語という感覚を植え付けてくれました。固有名詞をどう訳出するかは児童文学の醍醐味ですが、同時に翻訳者としての責任の重さを感じます。固有名詞という重要な箇所に思い切った訳を充てるのは、勇気の要る判断です。
また、話し言葉の訳出のうまさも際立っていました。物語は、性差を超越した構成になっています。その特徴をうまく生かし、少女たちの言葉も、いわゆる女の子らしい言葉を極力排除した訳出で、性差が埋まりつつある昨今としても違和感なく読み進めることができます。

さて、長い前振りはともかく、内容に少し触れましょう。
主人公のアマンダ・シャッフルアップは、空想好きな女の子です。とはいえ、ただ座って空想しているわけではなく、とにかく活発に遊び回ります。このあたり、まさしく「シャッフルアップ」という名が効いています。心の中でラジャーという「見えないお友だち」を創造し、一緒に冒険の日々を楽しむアマンダとラジャー。そんな二人に、おかしな少女と男が近づきます。

この作品の面白さは、物語の奇想天外さだけではなく、「読み手の子どもにはすべてがわかる全能感」を与えることでしょう。登場人物たちはいろんな「掛け違い」をします。「え?それって違うのに・・・」と思えるのは、「読み手だけがわかる優越感」に浸らせるしかけがあるから。たとえば、ジュリアは「足で引っかけられた!」と言うのに対し、ベロニカは「手で押した」と答えます。読み手は「本当は手なのに、ジュリアはわかってないなぁ」と、ちょっとした優越感に浸ることができるのです。
レイゾウコに絡む箇所も同じく、です。
物語のアップダウンとともに、この掛け違いがいくつかあることで、単に物語を追いかけるだけの本ではない深みを感じます。

また、ちょっとした謎と大きな謎の使い分けが巧みです。
読みながら「あれ?」と思う箇所は数行先で答えが見つかり、ぼやっとした謎は、きちんと最後で拾っています。
登場人物たちの特徴はほぼ数行で説明され、何度も読み返すことなくすんなりと頭の中に入ってきます。
このあたりは児童文学というよりも、現代的な物語の運び方でしょうか。登場人物を最初に手早く定義し、読者はもやもやした状態にならずに話を進めることができます。

見えないお友だちが見えなくなったら、大人なのかなあ。
私はそう思いながら読んでいたのですが、途中から様相が変わりました。私の疑問への作者からの答えが、きちんと用意されていました。子どもの気持ちと大人の気持ちを絡めながら書いた、作者の意図が伝わります。

それはそうと、私には挿絵のベロニカが勤務先の男子(通称コマッタ君)に見えて仕方ありませんでした。私が点子ちゃんを最初に発見した図書館をビビッドに思い出し、職場のコマッタ君を重ね合わせ、小汚いゼウスを想像して「好きだけど触りたくないわ」と辟易し、そして主人公たちのあきらめない気持ちを応援しながら読んでいると、3Dではなくまるで4DX的経験をしているようでした。

実は私、現在すこし難しい案件を抱えているのですが、立ち向かう勇気も重要だ、と教えてもらいました。
いえ、教えてくれたのはアマンダとラジャーではなく、ママです。
ママ、かっこいい。

○o。+..:*○ マド ○o。+..:*○

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