法文を読む―意外な特技②

ところで、私は昔、ピアノを習っていました。
あまり上達しませんでしたし、もうピアノ自体に触ることもないので、完全に過去のものとなってしまいました・・・。

英語を必死でやっていたとき、読みがスムーズにできなくて試行錯誤したことがあります。
早く読めるようになったのは、ピアノの先生に教わった技法(?)です。

「自分が弾いている箇所よりも、数小節先を目で追いましょう」

ピアノを習っていたときはあまり気付いていなかったのですが、自分が弾いているちょうどその箇所を見ても、次を見越せないので結局詰まってしまうんですね。
目だけが先に動いていると、脳も先に反応しているので、つまづかない。

これはピアノをやっている人だけができるわけではなく、おそらく誰でも少し練習すればできることなんだと思います。

自分が英語を学習していたときの気持ちを思いだして、少し先に目を進めながら法文を読むと、すらすらいける!
時間もかなり短縮できました。素読自体はやっぱり苦しいのですが、「やったらできた!」という感覚を掴むことができると、前に進む動力源になります。

もし「音読が苦手」という方がいらっしゃったら、試してみてはいかがでしょうか。

それにしても、過去のお稽古事がこんな風に役に立つって意外です。
これについては、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

次回に続く。

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法文を読む―意外な特技①

私が通っている法学系の予備校では、条文の素読をします。
もちろん授業でやるわけではなく、各自が家でやるように言われています。

なにをするかというと、とにかく音読をします。
指定された法律の条文を淡々と読むのですが、だいたい40分程度になります。毎日、とにかく修行のように40分、読み続けます。
まるで英語の勉強のよう。少ない時間をやりくりする中での根性を要求される学習法で、音を上げそうになります。

最初はなかなかスムーズに読めませんでした。
「日本語なのにおかしいな・・・」と思ったのが、改善に乗り出す気になった最初のとっかかりでした。
日本語でこれだけつまずきながら読んでしまうというのは、法文だから? あまり使わない文章の羅列で、自分がついていってないから?
あまりにもつまずくので、いろいろと考えてしまいました。

でも、やはり日本語でつまずくのはおかしい。もしかして英語も下手になっている?
そう思い立ち、英語を読んでみたところ、やはり少しつまずいてしまう。下手になっているなあ、と実感した次第です。

でも、英語は読んでいると感覚が戻ってきました。条文はもどかしいような独特の日本語なので、今までかなりの判例を読んでいるようでも素読すると如実に苦手意識がでるのかな、などとも考えてみました。

分析した結論からいうと、やはり読み方にポイントがありました。

次回に続く。

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日課の設定

英訳の案件では、ITと法務をプラスした分野での受注がほとんどです。
英訳は好きなのですが、毎日やらないと鈍る気がしました。使わないとダメなのは当然ですね。

少し話は逸れますが、通っている法学系予備校で、六法の音読をやるように、という通達が今年の夏以降にあるそうです。音読する法律は限られていますが、毎日やって、「リズムと音感」で条文を頭の中にたたき込むということです。
実は私も憲法については半年ほど毎日音読していたので、条文を一部変えている問題が出ると、「なんとなく音が違う」という感覚で解けるときがあります(音読だけでは解けない問題も多いですが…)。

文章というのは、感覚でモノにする部分が多かれ少なかれあるのではないでしょうか。
毎日ちょっとだけ翻訳の練習をする課題を自分に課していますが、最近、和訳と英訳を設定し直してみました。それと、音読ですね。文法や辞書といった論理的な考察と併せて、感覚を磨いていくことも重要な気がします。

社会人なので時間がとれないこともあります。なので、無理のない範囲で少しずつ、毎日やれる分量を設定しています。できるときでも、多くやり過ぎない。多くやったら、「昨日こんなにやったから今日はいいや」という怠慢な気持ちや、「昨日よりも多くやりたいな」という傲慢な気持ちが芽生えてしまって、どうもペースが崩れがちになります。コツコツ毎日、多少の差はあれど同じくらいの分量、というのが私にあった課題の進め方のようです。
とはいえ、このやり方も今だけかもしれませんし、しばらくして自分の弱い箇所が新たにわかってきたら、またやり方を変えるかもしれません。その時その時で、見直しながら課題を考えていきたいと思います。

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古い日本語

先日、翻訳者仲間の方と一緒にご飯を食べに行きました。
そのとき、今やっている法学の話になり、憲法の条文を読んでみました。

第六十七条  内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。

ご一緒したのはベテランの翻訳者さん(医薬)と、機器メーカーの方(翻訳案件を発注する方)だったのですが、翻訳者さんがこの条文で「主語と指示語が…おまけに『つ』が大きい」と困惑気味でした。

私は最近、常に条文と判例を読んでいるので、こうやって指摘されないとどこがどう古いのかが自分でもわからない状態でした。特に民法の判例は明治期からの蓄積があります。古い判例はさすがに読みづらいのですが、慣れるとわりとすんなり理解できます。
でも、ベテラン翻訳者さんが戸惑い、しかもその指摘を聞くまで自分で気づけないということは、私の言語感覚がずれてきているのかな、と焦りました。産業翻訳者が古い日本語にばかり慣れていると、きちんとした訳ができなくなる可能性もあります。
法務の世界でも、「懈怠」「すべからざる」などの古い表記は使わなくなっています。にもかかわらず、判例で目にしていると、つい使ってしまいそうです。

今回、自分が日常的に接している日本語について、他の方の意見を聞くことができ、とても勉強になりました。「日常的に使われる日本語」を見失わないようにして、勉強を進めていきたいと思います。

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いつも真剣勝負で

今回は、以前、「おお!」と感じた言葉をご紹介します。

ギャラリーでも触れたことのある、秋山真志(「職業外伝」著者)さんはとても言葉を大事にされる方です。
秋山さんは常に「自分が書くべきこと」「自分だからこそ書けること」を念頭に置いて、お仕事に向き合っています。
彼の言葉の中でも、私の心を打ったのはこちらです(ご本人の承諾を得て、過去の文章から抜粋しています)。

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大体、作家と編集者というのは「命のやり取り」をするのである。作家を見ると、部数をはじき出す編集者や営業の顔色ばかり窺っている編集者がいるが、ぼくはそんな相手とは「命のやり取り」をしたくない。真剣勝負なのである。

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翻訳者も、一回が「真剣勝負」です。でも、自分の仕事を振り返ってみて、思いました。

自分の仕事で、「命のやり取り」をしているかな?

作家さんと編集者という関係は世間的にはとても特殊のようですが、翻訳者も文章を練る仕事です。どこかで「自分の命をこの仕事に吹き込んでいるか?」「命のやり取りをしているか?」と意識しなければ、いつまでも三流の仕事しかできないのでは?と感じました。

なにを大げさな、とお思いの方もいるかもしれませんが、言葉ひとつで人生は大きく変わるもの。特に文章で商売をしているのならなおさらです。
真剣勝負で翻訳と言葉に向き合うという気概を、自分に対して常に問いかけよう、と思いました。

秋山さんの著書、「職業外伝」は、過去の職業の方にじっくり向き合った名著です。
私は大事に少しずつ、味わいながら読んでいます。
今はなくなりつつある職業を偲びながら。

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昔のことばを伝えること

親指シフトの話題が続いたので、今回からは少し違うトピックスを。

先日、お茶のお稽古でのことです。
床の間のお花が、しもつけとりょうぶでした。

しもつけは5月によく目にしますが、りょうぶは珍しいです(茶花はなかなかお花屋さんでも売っていないので、みなさんおうちで育てていることが多いですね)。
そもそも、「りょうぶ」という名前を聞くことすらないので、私はぽかーん、でした。

「珍しいお花ですね」
と社中の先輩に言うと、実は私たちがよく聞くことばに出てくるとか。

「ぼうずがじょうずにびょうぶに・・・」
という早口言葉(?)を耳にしたことはありませんか?
あれは、「坊主が上手に屏風にりょうぶの絵を描いた」、だそうです。
私の地方では、「坊主が上手に屏風に坊主の絵を描いた」と伝わっていたので、びっくりでした。

実は、「『坊主』がこんな短い言葉の中に2回も出てくるの?変じゃない?」と子供心に疑問符でいっぱいだったので、その謎も解けてすっきり!

私がお稽古する千家流では、書物がほとんどありません。
理由は、「日々のお稽古で先生からの口伝が基本です」ということのようです。
ただ、口伝も善し悪しがあり、長い期間でことばが変わることもあります。
私の地方で伝わっていた「坊主」が2回も出てくるのが、まさにそれですね。私の記憶違いかと思っていましたが、同県出身の家族に訊いてみても、やはり「坊主2回」で覚えていたそうです。明文化しておけば「りょうぶの絵を描いた」として正しく伝わったのかも、というのは一理あると思います(もっと言うと、最初は「りょうぶ」ではない、ほかのものだったのかもしれません。もう現代では見られないなにか別のものが、いつの間にか「りょうぶ」にすり替わっていた可能性もありますね)。

でも、こうしたことば遊びを明文化したところで、人々の間に伝わって残るかというと・・・こちらもまた疑問です。
口伝だからこそ残った、とみる方がしっくりきますね。
だとしたら、口伝でも明文でも、言葉を伝えるのはなかなかにして難しいことなのかもしれません。

今回はたまたま私が先輩にお尋ねし、先輩も嫌がらずに教えてくださったので、長年の疑問が解けたのですが。
口伝と言葉の難しさを感じつつ、お稽古に出かけて人と会い、ひとつひとつを確認する、という大切さを学びました。誰かと簡単な雑談をするだけで、自分の長年の謎が解けるって、すてきなことだなあと。

りょうぶ、かわいいお花です。
しもつけとよく合っていました。

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